ストレスの変遷

ストレスがまったくない人などいないでしょう。

副腎疲労症候群になって、自分の生活、人生、仕事、ライフスタイル、食べ物、人間関係など、あらゆることを振り返り、考え、見直すことをしました。

その作業の中で思い出したのですが、恐らく人生で初めて感じたストレスは幼い子供の頃です。確か6才位だったと思います。

小学校の行事で、数日間のキャンプがあったのですが、その中のプログラムの一つにアーチェリー体験教室がありました。体も小さく、結構シャイな少年だった僕は、そのアーチェリーという弓矢がとても怖いものに思えました。もちろん、それまで一度もアーチェリーなどに触った事もありませんでしたし、自分にはとても使いこなせない、危険で恐ろしいという恐怖感を覚えました。

キャンプそのものは楽しみなのに、アーチェリーをやらなければならないという事を考えただけで恐怖感に襲われ、夜はそのことを考えて眠れなくなってしまい、段々お腹が痛くなってしまいました。

archer bow arrow

そしてキャンプの日がやって来ました。2日目か3日目だったと思います。アーチェリー場へ集合し、使い方についてインストラクターから説明を聞いていました。その時も僕はまだビクビクし、怖くて仕方がありませんでした。

いよいよ自分達でやらなければならないという状況になって、僕は周りにいる同級生に「アーチェリーやったことある?」と聞きました。すると誰一人やったことはないという返事だったのです。僕は本当に驚きました。なぜなら、やったことが無いのは自分だけだと本気で思い込んでいたからです。だからあんなに怖くて、触るのも嫌で、それがものすごくストレスになって何日も眠れなかったのだから。誰もやったことがないのだとわかって、不安も恐怖も一気に吹き飛んだのです。

は?一体僕は何をそんなに恐れていたのか、あの言いようのない不安感とストレスは何だったのか?

そうとわかると、皆がうまくできないのを見ながらどんどん気持ちが楽になって、自分の番が来るのが楽しみにすらなり、実際にやってみたら同級生より結構うまくできたことに嬉しくなって小躍りしていたのです。

何日も眠れない程心配していたこと、お腹が痛くなるほどストレスに感じていたこと、自分の感情と時間を無駄にしてしまったような気持ちにもなりました。

6歳の時のあの経験が、僕の人生で初めて味わったストレスと、それを取り除いた時の安堵感。ストレスとはどういうものなのかを子供心に学んだのでした。

stomachache

自分にとって得体のしれないもの、自分の能力や許容量を超えていると思うものに対する不安感、恐怖、プレッシャーなどが原因で眠れなくなったり、お腹が痛くなったりと体調が悪くなり、しかしその事から解放された途端にすべてのストレスがスーッとなくなっていくのを感じることができます。これが人間の体が反応する仕組みなのです。

アーチェリー事件のように強いストレスを感じることがあったとしても、適切なタイミングでそれを取り除くことができる限り、人の体はうまく対応できるという事です。病気にはなりません。大丈夫なのです。

しかし、もしアーチェリーに対するストレスのようなものが1年も2年も続いてしまったら、たとえ子供であっても体や精神的に影響が出ていたかもしれないのです。

若い頃(特に10代~20代の頃)は、人はホルモン的に最強です。だからちょっとした恐怖にあえて挑戦してみたり、得体のしれないものに対しても興味を抱いて試してみたりと、ストレスを逆に楽しめたものです。それに若い頃に味わうこのようなストレスは、責任ある立場になってから味わうストレスとは性格が違うものだということも、僕は嫌というほど経験しました。

日本に来て自分の会社を立ち上げ、日本のビジネス社会の中で事業を続けていくという状況の中で、経営者として対処しなければならないストレスは、その量も内容も継続する期間も、なにもかも結果的に僕の許容量をはるかに超えてしまったのでした。

最初はあのアーチェリーの時と同じだったのです。どうするべきかと考えて眠れない夜を過ごし、そして腹痛を起こし始めました。でもアーチェリーとの大きな違いは、いつまでもたってもストレスは終わらず、取り除くことができなかったということです。

ストレスはどんどん積み重なって大きくなり、眠れない夜を数えるのではなく眠れた夜を数えるようになり、腹痛は生活の一部になってしまいました。時には、自分の感情を完全に抑え込み、ひたすら飲み込むことでその場をしのぐことができたケースもありましたが、中にはどうやっても折り合いをつけることができないケースもあり、そんな時にはいつもビタミンBを2~3粒口に放り込んでなんとか気持ちを落ち着かせ、夜には浴びるほどアルコールを飲んでいました。

今思えばあの頃は、安らいだ気持ちになったり、本当に心の底からリラックスできた事はなかったように思います。いつもスイッチがオンなのです。頭の中はいつも「次は何?」でした。

ビジネスが軌道に乗りどんどん忙しくなり、従業員も顧客も売上も増えると、ストレスもその何倍も膨らんでいきました。お腹に来ていた不調が、頭に移っていったように感じました。

頭痛そして頭がすっきりしない感じで、思考がもたついたり、決断するのに苦労するような感じになったのですが、その時は「年だな…」で片づけてしまっていました。30代で起業し、40代、50代とビジネスを続け、当然自分も年をとってきたのだから、しょうがないと思っていたのです。むしろ腹痛よりましだと思っていたくらいです。

でもその頭のボーっとした状態はその後何年も続くことになるのです。これがブレインフォグだったのですが、そうと知るにはまだ時間がかかります。

この時点でも僕はスピードを緩めることなく、さらにアクセルを踏み続けました。ストレスはお腹から頭へ、そして頭でとどまらず、全身に影響を及ぼし始めました。普段より大変な仕事の時や、負担の大きな仕事の時には全身がしびれるような、電気が走るような感覚がはじまりました。それが次第に、仕事の大変さや負担の大きさに関わらず、日常的に全身がジリジリとしびれているような状態になって来ました。これまでかかり続けたストレスが積もりに積もって、もう限界点に近づいていたと思います。

ここから年月を少し早送りしますが、ストレスに対し体が完全に悲鳴をあげたのは、パニック発作、毎晩ある時間に目を覚ましそこから眠れなくなる、異常にテンパったかと思うとその後急激に疲れ果て、いつも体内に電流が流れているような微振動を感じ、血糖値が大暴れ、毎日続けていたウエイトトレーニングもできなくなり、ブレインフォグが悪化、めまいがしたり、まっすぐ歩けないような感じで、呼吸すらうまくできなくなり、もうこのまま衰弱して死んでしまうのかと思うような状態に至ってしまったのです。

そしてやっと専門の医師に辿り着き、副腎疲労症候群ステージ3フェーズCだということがわかりました。

子供の頃に初めて味わった可愛いストレスの物語から、ストレスを楽しめた無謀な若者だった時代、そして文化も言葉もまったく異なる国で会社を経営する責任ある立場になって受け続けた強いストレス。ずっとストレスと闘い続けてきたわけです。最初は寝不足や腹痛から始まり、次に頭、そしてとうとう全身、内臓、全システムがシャットダウンしてしまうという事態を招いてしまいました。

僕は自分の体に耳を傾けなかったのです。「何度も警告を発したでしょ。でもあなたは何もしなかったどころか、ますますペダルをこぎ続けたんですよ!だからストライキに入ります。工場は閉鎖します。」と体に宣告されてしまったというわけです。

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自分の体の声を聞きましょう。いくつものサインを送っています。体はそういう方法でしかあなたに話しかけることはできません。注意深く体が発する声を聞きましょう。そしてその声に応えて生活を変える必要があれば変える、それが僕が学んだことです。