副腎疲労、5年のマイルストーン

“Time flies”(タイム フライズ)という言葉があります。飛ぶように時間が過ぎていくということですが、日本語で言うところの「光陰矢の如し」ですね。

なぜこの言葉が浮かんだかと言うと、最近到達したマイルストーンをしみじみと考えていたからです。ある節目を迎えたわけです。決して良い意味の節目ばかりではありませんが、ともかく節目の時を迎えて感慨深いものがあります。

ちょうど5年前のきょうが、アルコールを口にした最後の日です。あれから5年間、完全に断酒しています。体がアルコールを受け付けなくなっていましたし、飲みたいという気持ちも無くなっていました。

drinking

副腎疲労になる前、月に一度の頻度で青山で親しい友達に会い、軽く食事をしながら飲むのが楽しみでした。その友人は出身地が僕と同じで(日本で同じホームタウンの出身者に会うことなどそうそうありません)、お互いに多忙な毎日でしたが、月に一回程度スケジュールを合わせて、平日の仕事が終わった後にお互いの職場に近い青山で会って色々な話をしました。仕事の事、知人の話、田舎の話など、英語で心おきなく話せるこの時間を毎月楽しみにしていました。

暖かい時期にはレストランのテラス席で、寒い時期はHUBのような外国人がよくたむろするバーで会いました。

ある時から、その友人の顔色が冴えず、たばこを持つ手がプルプルと小刻みに震えているのに気づきました。彼の口から出る話も、仕事上のストレスのことばかりになっていました。僕と職種は全く違いますが、彼はいつもノルマや成績を上げるプレッシャーに襲われていました。目の周りの皮膚がすごく乾燥して赤くなり、痒そうでした。会うたびに彼にストレスはどうかと聞いていました。彼の答えはいつも「ストレスと一緒に生きてるよ」というものでした。その時の僕は、もちろんストレスを感じてはいたものの、彼よりはましかな・・・などと思っていたものでした。

smoking

ある時、またストレスの話になって、彼がどのようにストレスコントロールをしているか話してくれました。

4-7-8テクニックというのをやっていると言いました。それは何かというと、呼吸法の一つです。4秒で息を吸い、7秒間止めて、8秒で息を吐くというやり方です。初耳だった僕は、そんな呼吸法があるのかと思い、しばらくの間やってみましたが、僕にはあまり効果はなかったようです。

そんな風に、毎月一度会って色々な話をしていたのですが、そうこうするうちに、今度は僕自身がだんだん疲労が抜けなくなって、仕事の後に飲みに出かけるのがしんどくなってきていました。飲みに行くより、できるだけ早く寝たいという感じだったのですが、それでも月にたった一度のことだし、やはり会って色々と話したいという気持ちが勝って、しんどいなと思いながらも飲みに行っていたのです。むしろどちらかと言うと、彼の方がストレスを解消するために僕と会いたそうにしていると思ったからです。

なんだか皮肉な話なのですが、あの頃の僕は自分のことよりもその友人の体のほうをもっと心配していました。彼と飲んだ後、家に着いてドリーにもその友人の体調のことをよく話しました。仕事がきつそうでかわいそうだな・・・、つらそうだな・・・と本当に思っていたのです。本当は自分のほうがかなり限界に近づいていたのに、そうとも知らずに。後になって思い知るのです。やばかったのは彼ではなく自分だったと。

そこから坂道を転がり落ちるかのように、自分の体が崩壊し始めました。2015年の今頃でした。それはどんどん加速して体のあちこちがおかしくなり、不可解な症状が次々に現れ、ボロボロになっていったのです。それ以来、僕はもうあの頃と同じ自分ではなくなってしまいました。

その一方で、心配していた友人はあの時と同じようにストレスが多いと言いながらも、今も変わらず仕事を続けているのです。僕はまともに自分の身の回りのことすらできなくなっていたというのに。あの4-7-8テクニックという呼吸法に効果があったということなのでしょうか?

それから、月に一度会う事が本当にきつくなり、誘われてもいつもごちゃごちゃと理由をつけて断らざるを得なくなっていました。月一回が3カ月に一回になり、半年に一回になり、最後に会ったのは、今から2年半ほど前ですが、その時は体調悪化のピークでした。アルコールは飲みたいとも思いませんでしたし、エネルギーも気力も何も残っていないような状態で、頭はブレインフォグでボーッとしているし、とにかく完全に壊れた人間でした。何をしゃべったのかもよく覚えていません。

とにかく僕が信じられないのは、僕は友達に会う事もやめ、気の合う仲間と飲むこともやめざるを得なくなり、仕事上の付き合いもまったく無くし、もう2年半以上もそんな社会性を失った生活を送っているということです。あれほど飲むことが大好きだったのに。生活の一部、人生の一部と言っても過言ではない程、人と会って飲み明かすことが好きだったのです。母国にいたころもパーティー好きでしたが、日本に来てからは仕事の後に同僚と居酒屋に行くという日本文化がとても好きで、毎日のように行っていました。「とりあえずビール」が口癖になり、2~3杯の中ジョッキを飲んだ後、ウオッカのソーダ割やジントニック、ワインのボトル、日本酒・・・とにかくそんな毎日を楽しんでいました。

そんな毎日が完全に変わってしまいました。無味乾燥で、誰にも会わず、人生の味わいを失ってしまったかのようでした。

isolated

でも自分で自分の体を限界まで押しやってしまい、それでも体は一生懸命耐えようとしていたわけですが、とうとうどうにもならなくなってしまったことは、今の僕にはよくわかっているし、生活を変えなければならないような事態を引き起こしてしまったのも自分です。

今、僕がアルコールに遭遇するのは、夕食時にドリーが飲んでいるビールやワインです。目の前で美味しそうに飲んでいるのを見ているのですが、まだ「あー自分も飲みたいー」という気分にはなりません。

先日もドリーがビールを飲みながら「ちょっと飲みたくなってきた?」と聞くので、僕は正直に「体がどんな反応をするかまったくわからないから、まだ飲むのは怖いかな・・・。特に外で飲むのは絶対無理」と答えました。

心の中では、ドリーと夕食時に一杯のビールを飲めるようになる日も、そう遠くないのではないかと思っているのですが、それは本当にその時が来るまで秘めておこうと思います。