ドクターAと僕の長い旅が始まった 2016年初夏

ハワイのクリニックで副腎疲労と診断された僕とドリーは、その日から何日も何日もリサーチを続けました。副腎疲労とは一体何なのか、聞いた事もない名前だったし、副腎が体のどこにあるのかも知らなかった。それから何よりも、この状況から抜け出すため、治療をしてくれる医師を探すことに何日も費やしました。

ドリーは日本で副腎疲労を専門に治療しているクリニックはないかを調べ、都内で2~3か所のクリニックを見つけたのですが、すぐには診てもらえない状況だったり、この治療はカウンセリングが大きな部分を占めるため言葉は大事だと考え、英語対応可のクリニックで絞り込むとやはり困難でした。

僕は、北米の医師で何人か見つけましたが、その中でもある医師のサイトに目がとまりました。ドクターAとしておきます。とにかく情報量の多さが半端なく、なによりもドクター自身が副腎疲労になり、一時は完全に仕事を休まなければならないほどの重症で、色々な方法を模索しながら回復した経験の持ち主。僕はとにかくこのサイトを端から端まで読み、ドクター自身が語るビデオを何本も見て、やるべき事、やっちゃいけない事、食べるべきもの、食べてはいけないもの、その理由、どんな運動をどのくらいやれば良いか、どんなサプリメントをいつどの位飲むか、など多くを学びました。

この先生だ!と確信した僕は、とにかくこのドクターに連絡を取ることを決めました。やっと、やっと一歩踏み出せる。本当に人生をなんとしても取り戻したいと、これほど強く思った事はなかったです。

クリニックに連絡を入れると、まずは無料の電話によるコンサルテーションで、僕が今どんな状態にあるか、検査結果と共に確認し、今後の治療のプロセスと費用を説明してくれました。最初の費用として800USD、そしてひとまず3か月分のサプリメントを購入するための費用として600USDが必要になるが、大丈夫かと聞かれ、ここで「ダメです」と言ったらどうなるのかなどと思いつつ、もちろんYESと返事しました。

その合図を待っていたかのようにドクターAが電話に出て、「良くなるよう必ず手助けします。自分の言う事を絶対に守ってください」と言われ、「もーちろんです」と答え、すぐ治療を開始することになりました。会話の最後にドクターは「心配ありません。1年で元にもどりますよ」と言ってくれて、僕はもう本当に安堵したというか、嬉しかったですね。

でも2年半たった今も治療は継続中です(泣)。最初のコンサルテーションで僕が話した内容から、恐らくドクターはそれほど深刻な状況ではないと判断したんでしょうね。ところがどっこい、僕は大きく期待を破り、紆余曲折の2年半を過ごすことになるのです。その話も追々書きます。

ドクターAの治療を受けることになり、クリニックのサイトに僕専用のアカウントが設けられ、ログインすると僕が読むべき資料がすでにたんまり保存されていて、いつでも質問できる機能や、僕の経過、検査結果、サプリメントの情報などがどんどん記録されていくようになっています。

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早速、資料をむさぼるように読み始めました。このドクターの分類では、副腎疲労はステージ1~4まで4段階に分かれていて、さらにステージ3の中でA~Dまで4つのフェーズに分かれています。そこで聞いてみました。僕はどの段階にいるのかと。

返答はステージ3のフェーズCだということでした。ステージ3は「副腎の極度の疲労」状態で、フェーズCは「恒常性機能不全」ということだそうです。が、実はこの判断も後に変わってくるのです。事実、僕は1つ上のステージ4の症状に当てはまる点がいくつもあったのです。