シンガポール・スリングならぬシンガポール・パニック 2015年夏

たたみかけるように襲ってくる体の不調と倦怠感で、あの頃の僕は不安と恐怖に押しつぶされそうだったのですが、それでもまだ誰にも症状を打ち明けたり、真剣に相談したりしていませんでした。ドリーにもあまり多くを語らず、なるべく通常の生活をしようとしていましたので、僕に起こっている深刻な事態に、彼女は全く気付いていませんでした。外から見る限り、僕は普通に見えていたからです。

この年の夏、僕たちは以前から計画していたシンガポール旅行に出かけました。僕は、なるべく日本を離れるのが、自分にとっては気分転換になり、仕事をしばし忘れることができて、ストレス解消になるはずだと思っていました。

singapore

オーチャードロードをぶらぶらショッピングしたり、マッサージに行ったり、有名なラッフルズホテルで「シンガポール・スリング」を飲んだり、僕の知り合いに会う約束もして、とても楽しみにしていました。ところが、ここで僕は次なるパニック症に見舞われます。

昼食をとろうとショッピングセンターのフードコートに向かいました。すでに空腹を感じていました。旅行者や地元の人で超混んでいて、テーブルを確保するのにまず時間がかかり、僕はちょっとイライラしていました。ドリーは食べたいものが決まっていたので、先に買いに行かせ、僕は席で待っていましたが、なかなか戻ってきません。

とにかくものすごい混雑ぶりで、ドーム状のフードコートは人の話す声、食器の音、お店の人が客を呼び込む声などが共鳴して、僕は騒音を過剰に不快に感じ始め、嫌な予感と不安感がよぎり始めました。

foodcourt

ポケットに入れてあったビタミンBを飲み込みました。この頃、僕はいつもビタミンBを身近に持っているようになっていました。強いストレスを感じた時にはビタミンBが良いと知り、いつでも飲めるように常に持っていました。

vitaminb

しかし手遅れでした。手が震え出していました。一刻も早く何か食べないといけなかったのです。血糖値が下がりすぎていました。極端な低血糖も副腎疲労の症状の一つなのです。

今考えると本当に馬鹿なことなんだけど、とにかくチョコレートでもクッキーでもなんでも口に入れればよかったのですが、あの時の僕は頑固なまでに「糖質オフダイエット」にはまっていたのです。糖質オフダイエットそのものは、この時点ですでに2年以上続けていて、僕はかなり効果がでてきたことに大満足していたのです。50歳になろうとしている僕の体は、このダイエットのお蔭で、ハイスクール時代のようにお腹もすっきり、パンツのサイズも落ち、周りの人にも勧めまくっていました。

これも後でわかるのですが、強いストレスが続いていて副腎が悲鳴を上げているような状況下では、糖質オフ=炭水化物を取らないことは、事態をさらに悪化させ、もう手の打ちようがないほど体に大ダメージを与えていたのでした。でもその時はそんなことは知る由もなく、僕はこのダイエットを頑固なまでに続けていました。このダイエットの話は、別の記事で詳しくお話しします。

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ようやくドリーが、焼きそばのようなものを持ってテーブルに戻ってきて、僕はフラフラしながら自分の食べ物を探しはじめたのですが、どのお店も麺、お米、小麦粉、炭水化物まんさいのアジア料理のオンパレード。僕が食べられるものがない!とフードコートをフラフラと歩き、やっと焼き鳥風なものを買った時には、もう限界を超えていました。意識が飛びそうになりながら、それでも僕は焼き鳥についている照り焼き風の甘いタレに文句を言いながら、割り箸でタレを落としながら食べるという、どこまでも糖質オフにこだわり続けていたのでした。

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日本に帰る飛行機の中で、再び低血糖が原因でパニック状態になってしまいます。この旅行は、シンガポール・スリングどころか、シンガポール・パニック!まったく逆効果でした。