僕が指導を仰ぐことにしたドクターAはアメリカの医師なので、当然クリニックを訪れて診察を受けるわけではなく、電話でのカウンセリングです。たとえアメリカに住んでいても、電話カウンセリングを受ける人が多いようです。アメリカは広いですからね。
頻度は、まずは2週間に一度、体調が良くなっていくにつれて3週に一度、月に一度・・・とだんだん少なくなっていきます。僕も今は3週に一度です。
電話でのカウンセリングは本当に短いです。毎回、自分の状態を伝え、そこからドクターの説明、サプリメントの指導、食事面や運動のアドバイス、質問にもその場で応えてくれます。ドクターと直接話ができるのは、たったの10分程度。その後、アシスタントの女性に代わって、ドクターが話したことを再確認し、時間が許せばちょっと雑談したりもします。
日本の副腎疲労専門医の診察についても、ドリーが以前調べてみたけれど、最初は直接会ってコンサルテーションを受け、その後は3カ月おきにクリニックに行くか、電話によるカウンセリングを受けるというやり方だったように思います。
電話カウンセリングは時間が限られているので、毎回、前日までにレポートを送ります。ドクターはそれを事前に見ておいてくれますので、体調や僕からの質問事項などはちゃんと把握してくれています。それでも、正直なところ、10分の電話だけではいつも消化不良な感じになります。もっとじっくり話を聞いてもらいたい、という気持ちは毎回ありますし、ドクターは次から次へとアポイントメントが入っているので、なんかいつも気持ちが急いている感じが声から伝わってきます。たまに、僕がその日の最後のアポだったり、スケジュールに余裕がある時は、ドクターはずっとリラックスした感じで、多少時間オーバーしてもゆったりと話してくれ、僕も遠慮せずに色々なことを聞くことができるんだけど、それは本当にたまにしかないことで、たいていの場合はちょっと急かされた感じで、バタバタと話して終わってしまうことが多いです。
ここまで2年半の治療を続けて、ゆっくりですが確実に良い方向に向かっていることが確信できていますし、ドクターAの考え方が最近よくわかるようになってきました。このドクターは、副腎疲労についてどれほど研究をしたのか、と思わされることが多々あります。ものすごい量の情報がドクターの頭には詰まっているんだろうな、だから僕が不調を訴えると、ドクターにはすぐに原因も対策もわかって、じゃあ、このサプリをこれだけ減らそう、とか、〇〇日後にこれだけ増やそう、という感じで、非常に細かい指示を出してくれます。だからドクターにとっては、電話カウンセリングは10分で十分なのかもしれません。
ドクターの説明や本に書かれていることを学べば学ぶほど、体内のあらゆる機能がどれほど高度に連携したり補完し合ったりして、生命を維持しているのか、副腎疲労がどれほど複雑な経緯をたどって発症するのか、が僕にもわかるようになって、あらためて人体の不思議を実感します。ストレスを受けた体の中では、ものすごい大仕事がなされていて、なんとか僕の活力を保とうとしてくれていたのに、その努力を僕自身が無駄にしてしまったために、こんな重症になってしまったんだ、ということもよくわかりました。
途中で何度か、本当に良くなるのか、まったく良くなっていない、むしろ前より悪くなっているんじゃないか、と疑心暗鬼になったこともあったのは事実です。そんな時、つい他のドクターのサイトや本を読んで、自分の判断で違うサプリメントを飲んでみたりしたこともありました。
ドクターAの方針とプロセスについて、今は、完全に理解できているし、この先の長い人生を考えると、時間はかかったけれどこの方法が正しかったんだとあらためて思える日が来るように、あとどれだけの時間が必要なのかわかりませんが、最後まで、完全に元の体を取り戻すまで続けていこうと思います。
一つだけ、どうしても解けない疑問があるのです。それは、ドクターは僕の顔を一度も見たことがありません。どんな病気であっても、患者の顔色や表情、動きやしゃべり方などを直接見ることってとても大事なんじゃないかな…と思うんですけど。今の時代、Skypeやその他のビデオ通話など、いくらでも手段はあるはずなのに、電話での音声通話というのは、なにか理由があるんだろうか?いつか僕が完全に回復して、もう治療は終わり、となったときに直接聞いてみたいと思っているけど、果たして聞けるかな…?