ストレスの元が家族だったら 2

副腎疲労なんていう、人からはなかなか理解されにくい病気になってから、僕は人に対する、特に身近な人に対する見方が少し変わったかもしれません。

前にも書いたように、僕は副腎疲労のことを、家族とごく親しい2~3人の友人にしか話していません。

そして一番理解して欲しい家族が、この病気についてほとんど無関心、あるいは”単なるストレス”だと思って真剣に取り合わないことに、何度がっかりさせられたかわかりません。

母親の反応についてはすでに書きました。今日は、妹の番です。

妹と話すのは月に1~2回くらいです。副腎疲労の話をした時、彼女も母と似たような反応でした。

僕の病気について、興味なし(と言うかよくわからない)、心配も思いやりも表さない。なんでこうなんだろう?

副腎疲労という病気がどんなものなのか、知ろうともせず、僕の体調がどうなのか本気で聞こうともせませんでした。

ただ笑って「あー、そんなのストレスに決まってるじゃん」と一蹴し、「いつまで日本にいるのよー、バケーションでも行ったら~」といかにも適当に言っているのが良く分かりました。

深く考えもせず、真剣に話を聞こうともせず、雑な反応にがっかりでした。

妹が電話を掛けてくるのは、アメリカ時間の夜7時とか8時で、彼女は旦那さんと一緒に飲んでいるか、すでに酔っぱらっている時が多く、そんなときの会話はろくな話じゃありません。

beerbottles

僕がどんなに体調が悪くても「何言ってんの、元気そうじゃない。すぐ良くなるわよー」と、ハイテンションで返してきました。

僕はもううんざりでした。話せば話すほど、ストレスが増大しました。

そこで彼女からの電話にでる時間を、日本時間の朝10時までと決めました。つまり、彼女が飲んでいない時間帯のみ話をすることに決めました。

僕は、酔っぱらった人に調子を合わせて、機嫌よく話せるような状態ではありません。

病気で苦しんでいる兄弟に、よくも毎回酔っぱらって電話してきては、どうでもいいことをしゃべりまくるな、と本当に思いました。

ある時は、(きっと酔っぱらっていたはず)馬鹿げたビデオを送って来たんです。彼女の旦那が、でっかい腹丸出しで踊っていて、妹がゲラゲラ笑っているビデオだったのですが、僕は一体何が面白いのかまったくわからなかったし、こんなビデオを病気の僕に送ってくる精神もまったく理解できず、完全にあきれ果てました。

人間性とか慈愛なんてものが何だったかも忘れた、この浮かれた2人に言ってやりたかったです。「モンスタートラックショーにでも行って、噛みたばこをペッて吐いてればいいんだよ。ったく」(モンスタートラック:日本の皆さんにはなじみがないですよね。このような改造トラック野郎が集まるイベントです。)

monstertruck

またある時は、病気の僕が読んだらどう思うか、少しでも考えたら絶対に送らないようなことをメールで送ってきました。もう吐き気がしました。

僕にもっとエネルギーがあったら、あの時すかさず「〇〇〇〇 OFF!」と言ってました。

たとえ家族であっても、自分がその渦中にいなければ思いのほか無関心だし、寄り添えないんだな、と思わされました。

nogood
しかし、状況は変わります。

去年、妹の義理の母(旦那の母親)が脳卒中で倒れたのです。妹夫婦はここでやっと目を覚ましたようです。

動けなくなった義理の母をいたわり、食事を用意し、家を掃除し、身の回りの世話をする。この経験をして、妹は変わりました。

自分にとても近い人が病気になって、やがて亡くなるという事態に直面し、はじめて病気の人に対する接し方を学んだようです。

はじめて僕の病気を心配し、体調について彼女から聞いてくるようになりました。

もっとずーっと前に、僕が妹に対して見せて欲しかった態度です。でもどうしたわけか、彼女は義理の母の病気を目の当たりにするまで、僕に対してそういう思いを抱かなかったんです。本当に、これ去年の夏頃の話なので、つい最近の事なんです。

caretaking

それ以来、妹はやっと本来の人間に戻りました。僕と妹も、昔のように仲の良い兄弟に戻れたと思います。

副腎疲労を抱えた人は、自分にとってのストレスをできる限り取り除く必要があります。

たとえ家族であっても、それがストレスに感じるのであれば、なんらかの対策を取ることが重要です。