日付変更線を越えるな!

副腎疲労と診断された時、このどうしようもない病気を改善するための方法を躍起になって調べ始めました。

ある医師がYouTubeで、この症状について説明しているビデオを見つけたのですが、その医師は「この病気を癒すのに最も良い方法は、無人島で6ヶ月間何もしないで過ごすことだ」と言っていました。

つまり、日常生活の中で受けるありとあらゆるプレッシャーやイライラする事から自分自身を切り離すことによって、より早く治すことができると言うのです。

island

それで僕は、日本を飛び出してどこかゆっくりできるところに行くのは良いことだと思い、体がしんどくても、休みが取れれば日本を脱出していました。

旅行中は確かに気持ちが楽になり、エネルギーが戻ってきているように感じました。ドリーと一緒に沢山旅行したし、時々一人でハワイで過ごしたり、実家に戻ってゆっくりしたりしました。

でも、旅行から戻ると、いきなり体が疲れ果て、気持ちもエネルギーも思い切りダダ落ちしてしまう、というパターンでした。

僕は旅行の計画を立てる時には、ドクターに聞くようにしていました。毎回、ドクターは同じような答えでした。「旅行に行くな、と言うことはできません」

でもドクターは知っていたのです。旅行は体に負担がかかり、回復を遅らせることを。

ドクターははっきり言わないのですが、生活に制限をかけたり、何かを禁止したりするようなことはしないようにしているのだと僕は思います。

でもその言葉の裏に「旅行など今は行くべきではないよ」という彼の内なる声が、聞こえはしないけれどあったのです。

彼は何年にも渡って、この病気を専門的に治療してきた中で「これはしないように、あれはダメ」と言ったことによって、何らかのトラブルがあったのではないかと思います。アメリカですからね。それで、なんだか遠まわしな言い方で、伝えようとしているのではないかな。

僕としては「旅行はやめなさい。家でとにかく体を休め、癒すことだけに専念しなさい」と大声でそしてはっきり言ってくれていたらな…と思います。

airplane

2017年の年末から年明けにかけて、僕はドリーと一緒に母国に帰りました。母親と母の旦那さんと一緒にクリスマスを過ごそうと、予約したAir B&Bに5日間ほど招待しました。

もう一度言いますが、ドクターが「やめときなさい」と言ってくれていれば、僕はこの旅行にも行っていなかったはずです。

日付変更線をまたぐ旅行、時差が大きな場所への旅行は、副腎疲労の体にとっては残酷な仕打ちです。

特に重症の人にとっては、体内のシステムに与える影響がとても大きいのです。

到着したばかりの頃は、いつも旅先で感じるのと同様に、とても気分が良くエネルギーも感じられました。

旅先でも毎日のヨガは欠かさず、きちんと続けていました。でも僕の体は当時、まだまだ異化状態でしたし、かなりのダメージを受けた状態でした。

僕は、母親に会えるのをとても楽しみにしていました。

母親と彼女の旦那さんが来るまでの1週間程は、僕はドリーはいつものようにあまり忙しくせず、日本で過ごすのと同じように、借りたAir B&Bの部屋でのんびりとくつろいでいました。

そこまではよかったのですが、母と彼女のだんなさんがやってきてからは、二人をほったらかしにもできず、ショッピングモールやレストラン、カジノに連日出かけ、レンタカーで街をドライブしたり、朝起きてから寝るまでずっとしゃべり続け、忙しいモードに入ってしまいました。

3日目ぐらいで、僕はもうかなり疲弊してきました。

皆でショッピングモールに行き、1時間後に集合と決めて、それぞれが好きな店を見ることにしたのですが、僕はもう100%何もする気がなく、立ち上がるのもしんどくて、1人でフードコートの椅子に座ってみんなが戻ってくるのを待つことにしました。時計を何度も何度も見ては、まだ45分もある、まだ30分もある…と、なんて長い一日なんだと感じていました。

shopping mall

今すぐにベッドに横たわりたい、このまま椅子に座っていられるかどうか自信がなくなってきていました。

それでも、そのままじーっとしてみんなが買い物を終えて集まるのをただ待っていました。

ようやく全員集まった時に、僕はとにかく一度部屋に戻って休もう、ということしか言えませんでした。

母たちが滞在した最後の夜、ドリーが料理して部屋で晩御飯を食べることにしたのですが、もう僕にはまったくエネルギーが残っていませんでした。

自分の親とおしゃべりをすることすらものすごくしんどくて、しゃべっている内容もまったく無意味で、何にも楽しくない。

ただただ時間をつぶすために、口を動かしている人間がそこにすわっているだけでした。

僕はこう思っていました。

「日本に帰りたい」

母親たちが帰る日に空港まで送って行った時にも、頭が霧の中でふらついている感じで、何をするにも体が重くて重くてどうにもなりませんでした。

駐車場に入る時に窓から腕を伸ばして駐車券を取ること、トランクから荷物を降ろすこと、このような日常的な動作をするのに、これほど多くのエネルギーが必要だったかと思わされました。

ごく当たり前のことをするのに必要なエネルギーすら、もう残っていませんでした。

ドリーと私は 2人だけで静かに残りの数日を過ごし、日本に戻りました。

 

この旅行は、僕が本当に心から「行かなければよかった」と、今でも後悔している旅行です。

この旅行で僕は体の回復がまた遠ざかってしまったし、この後に待っていた大きな仕事もあり、ダブルパンチで大きな打撃となってしまいました。

まるで、1年間の努力を完全に無駄にしてしまったくらい体調が後退してしまい、また出直しをしなければならないような状態でした。

続きは次回のブログで。