パニック障害の地雷を踏んだか 2015年春

今から3年以上前の事なのに、あの時のパニック障害を思い出すと、それがまたストレスになり、もう一度パニック障害になってしまいそうな恐怖をおぼえます。実家で妹の態度に怒りがおさまらず、その日の夜中にパニック障害に襲われたのですが、それに匹敵するレベルでした。

しかも、このパニック障害が起きたことを、僕は最近までドリーに話していませんでした。理由は、自分の準備不足から招いた不安が原因で誰のせいでもなかったし、仕事に関することだったから、ちょっと情けなくて恥ずかしさもあって、言えずにいました。

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僕の会社にとって、春はとても忙しいシーズンです。各企業が、新入社員向けの研修を4月、5月に集中的に実施するためです。大学の教授みたいに何年も何年も同じ講義をやっているわけではなく、毎回新しい内容を考え、実習の課題を考えたり、グループ活動の材料を用意し、効果的なやり方、対象者に合わせた様々な切り口を考えなければなりません。また企業ごとにその業種や職種に応じて、プログラムを作っていかなければならないので、その準備期間も含め、春はとても忙しいのです。

2015年の春、ある企業から僕は講師指名されて、新たなプログラムをやって欲しいという依頼があり、まったくゼロから作り上げることになりました。顧客の希望に合う内容にするために、いくつも資料を検討し、内容を組み立て、テキストを作成、講義でつかうスライドを作成し、自分の講義を作り上げる、膨大な準備が必要です。でも3か月ほど準備期間があったので、僕は余裕を持って取り組めると思い、焦りや不安はまったくありませんでした。

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ドリーは、全体構成を作ったり原稿を書いたり、スライド作成などの責任者的な役割をいつもやってくれていたのですが、いくつものプログラムが同時期に走っていて、その準備ですでにかなりの仕事量だったので、このプログラムは僕とアシスタントの女性2人で作業を進めることにしました。

ドリーは何度も僕たちの進み具合を気にしてくれていましたが、「順調に進んでいるよ」と、本当にそう思ってそう答えていました。

セミナーまで1か月ほど残してほぼ準備ができたので(と思ったので)、実務的な部分はアシスタントに頼み、僕は少しの間、休みを取って実家に帰りました。実家でも、原稿やスライドの仕上げはできるし、会社に連絡して指示も出せるので問題ないと思っていました。しかし実家に帰った僕は案の定、ろくに原稿に目を通すこともせず、セミナーの1週間程前に日本に戻りました。ここから怒涛の新入社員研修が始まります。

最後の仕上げにと、スライドを手直していたらドリーがチラっとPC画面を見て、「ん?」「ちょっと始めから見せて」と言いだして、「ここからここはどういう風に持って行くの?」とか「このパートとこのパートが上手くつながってないね」とか「これは同じことの繰り返しになってるよ」とか、次から次へと指摘され、「うーん、ちょっとこれは…最初からやり直しだね、」と言われてしまった。金曜日の午後でした。セミナーは週明けの月曜日なのに。

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ドリーは目の前に資料を広げ、いきなりやり直しに取り掛かりました。「これはちょっと…」とか言いながら、パチパチとPCのキーボードをすごい勢いで打ち始めました。

その時でした。僕は急に心臓がバクバクと乱れ打ち、胸が苦しくなって息ができなくなり、静かに部屋を出てトイレに向かいました。ドリーは、気づいていませんでした。呼吸が苦しくハアハアと過呼吸になり、手足の先端がビリビリして、吐きそうな気持ち悪さでしばらくトイレにかがみこんでひたすら収まるのを待ちました。

少しラクになり、しずかにトイレを出て、びっしょりの汗をふき、キッチンでビタミンBを2錠口に放り込み、呼吸が落ち着いた所で普通の顔をして仕事部屋に戻りました。

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いつも通りの口調で「大丈夫そう?」と話しかけ、「今日中には形にできると思うよ」とドリーはちょっとスマイルで言ってくれたことで、僕は本当に深く深く息を吐きました。

ドリーのお蔭で、プログラムの組み立ては見違えるほど分かりやすくスムーズな流れになり、スライドも講義の原稿も分かり易くまとめられました。その週末をほぼこのセミナーの最終調整と準備にあて、なんとか当日に間に合わせることができたのです。

セミナー当日、本当の事を言うと僕は不安に潰されそうでした。いつもなら、完璧に準備を終えた後で、何度も何度もシミュレーションしたり、実際にリハーサルをやって時間を測ったり、これでもかというほど万全を期して本番に臨むので、緊張や不安を感じることはまったくないのですが、この時は準備不足と、できるという自信が持てないままやることになってしまったのと、つい2日前のあの発作が生々しく、まる2日間の集中セミナーをやり切れるだろうかという不安でいっぱいでした。でもやり抜きました。

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僕の不安や緊張は、参加者にはまったく伝わっていなかったし、時間を経るごとに僕自身が「あー大丈夫だ」という気持ちになっていきました。

2日に渡るプログラムで、僕はその夜、近くのビジネスホテルに宿泊したのですが、レストランで夕食をとりながらドリーにビデオ電話をかけ、ワイングラスを見せたりしてわざと明るく振る舞い、「うまく行ったよ」と報告したのですが、実はそんな気分ではなく、「なんとか…やれた」というのが本当の気持ちでした。

翌日も一日セミナーは続くのですが、その夜は10時にベッドに入ったものの全く眠れず、1時に目が覚めそのまま4時までどんなに寝ようとしても寝付けず、うとうとしたなと思ったらもう6時で目が覚めてしまい、最悪の目覚めでした。それでも2日目もなんとか終えることができ、事なきを得ました。

あれからもう3年半経つのですが、実はあのパニックの感じは今も僕の中に鮮明に残っていて、あの日の事、ドリーに「こりゃダメだ」と言われた時のことを思い出すと、足からビリビリとしびれた感じが戻ってきて、それが体全体に広がるような感じになるんです。今でも。まだ後を引いてて、PTSDのように何度も何度も蘇ってくるのです。

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だからつい最近までこのことをドリーには言えなかったんです。初めて聞いたドリーもそんなことになっていたのかと驚いていました。なんで言わなかったのかと、何度も聞かれましたが、どうしても言えなかったんです。

副腎疲労はコルチゾールの分泌が減ってしまうことによって様々な症状を引き起こすのですが、その代表的な症状の一つがパニック障害なのです。今だからそう言えるのですが、あの時はまったくそんなことは頭になく、ただただ自分を襲い続ける体の異常に振り回されていました。

パニック障害は一度起こると、また起きるのではないか、どこで起こるかわからない…とそのこと自体が不安になり、それが引き金になって発作を繰り返してしまうのだそうです。僕はこの時、パニック障害の地雷を踏んだのだと思います。その後、何度かまた追い打ちを掛けるよう起こるのです。それはまた次のお話しで。