実家で怒りのパニック障害 2014年夏

体は確実に何かを訴えようとしていたのに、僕はまだ気づかずに、相変わらず仕事の鬼を続けてしまい、体の中では悪循環が加速し、不調はこれでもか言わんばかりに襲ってきました。

2014年の夏休み、僕は故郷に帰りました。日本に来てから、実家に帰るのは2~3年に一度くらいです。本当はもっと頻繁に帰りたいのですがそうもいかず、この年も久しぶりの帰省をものすごく楽しみにしていました。自分の文化とゆっくりペースにどっぷりと浸ってリラックス、仕事のことも考えず、家族とのんびり過ごすはずでした。ところが、久しぶりの故郷で僕に降りかかったのは、恐ろしく激しい発作でした。しかも実の妹がその引き金を引くとは。

妹も同じ時期に実家に里帰りするというので、妹へのお土産にとコーチのショルダーバッグを買って、渡すのを楽しみにしていました。ドリーと一緒に何軒もお店を回って選んだバッグでした。どんなに喜ぶかワクワクしながら妹に差し出すと、バッグをチラリと見て「ありがとう」と言うと、部屋の隅に投げ捨てるようにポンと置いて、それっきり見向きもしなかったんです。完全に僕の期待を裏切る反応でした。

まるで、ティッシュの箱を渡して、ティッシュをシュッと抜き取った後、その箱をポイッと投げたような、そんな感じだったんです。わかりますか?何時間も吟味して買ったバッグです。鼻をかんで、ホイっと投げるティッシュじゃないんだよ。せっかく買ってあげたバッグに何の興味も示さない、その態度が僕には信じられなくて、猛烈な怒りがこみあげて来て、この先、二度とお土産もプレゼントも何もあげんからな!と本気で思ったのです。でもその猛烈な怒りをぶちまけることはせず、深呼吸をしてなんとか自分の中に収めてその日を過ごし、家族そろっての夕飯時もお酒を一緒に飲んで、顔にはまったく出さずに楽しそうに振る舞ったけど、僕の怒りはまったく収まっていませんでした。体がガクガク震えてしまうほど腹が立って、自分でコントロールできない状態でした。

最悪の瞬間が訪れたのは夜中の2時。心臓がバクバク、過呼吸で、生汗がだらだらと流れ落ち、手は氷のように冷たくなり、パニックアタックの発作のような症状で目を覚ましました。このまま心臓発作が起きるじゃないかという不安に襲われ、でも母親に心配かけたくないという一心で天井を見据えながら、911を呼ぶべきかどうか考えていました。救急車を呼ばなかった唯一の理由は、体が動かなかったからです。声を上げることもできず、ただベッドの中で汗だくになってハアハアともがき苦しんでいて、あの状況で電話を掛けることなんてできませんでした。どこか別の場所で同じ事態になっていたら、すぐに「誰でもいいから救急車を呼んでー」と絞り出すように言っていたと思います。まじで。

2時間はもがき苦しんでいたと思いますが、その内また眠ってしまっていて、目が覚めたのは朝6時。少し落ち着いていました。7時頃に母親の旦那さん(父親は僕が大学生の頃に他界し、その後母は再婚)が起きてきたので、血圧を測って欲しいと頼みました。少し高血圧気味の彼は毎日、オムロンの血圧計で測定してるのを知っていましたので、僕の血圧もそれで測ってもらいました。その結果、血圧は120/80と正常値でちょっとホッとはしましたが、体力を消耗しきっていた僕は、その日は一日中フラフラしていました。

その夜は親せきの人と久しぶりに夕食に出かける予定が入っていて、気が向かないまま出掛けたものの、殆ど何も食べられず、気分も悪く、また何か起きたら嫌だなという不安でいっぱいで、外食するような状態ではなかったんです。この夜の発作は「なんかやばいことになっているんじゃないか」と真剣に思った出来事でした。

bloodpressure

妹の態度は確かに良くなった、良くなかったけど、今考えればあれほど猛烈に腹を立てるほどではないし、その場で「おいおい、そんな反応かよ」と言えば済む話だったんだよね。

副腎疲労は、ちょっとしたことに過剰に反応して、イライラしたり、怒りっぽくなるという特徴があります。この病気を知った今だから言えるのは、怒りで発作を起こすほど興奮してしまうことこそ、すでに始まっていた副腎の機能低下を知らせる警告だったという事です。もちろん当時はそんなことは考えもしませんでしたが。

日本に戻り、ドリーにこの事を話し、病院で見てもらう事にしました。心臓と肺のX線、脳のCT、MRI、血液検査、どこも異常なし。で、お医者さんから「ストレスはありますか?」と聞かれ「ストレスはありますよ、いつも」。「じゃあストレスを減らしてリラックスするようにね」「はーい、わかりました」というやりとりで終了。

このパニックアタックの後、心臓などの深刻な病気ではなかったことに安心し、また僕はこれまで通り仕事に戻り、無謀なペースとは気づかずにむしろワーキングハイと言っても良いような状態で、体は次なる衝撃に見舞われることになるのです。