「何かが一つ足りない、あと一つ必要なものがあれば、普通の体に戻るのに」そんな思いがずーっとあります。
何か一つの薬で、この濃い霧の中から外に飛び出せるんじゃないか。
何か1本の注射で、パッと自分を取り戻せるんじゃないか。
アメリカの医療テレビドラマなんかでよくこんなシーンがありませんか?
心肺停止の状態でもう死んでしまったような状態の患者に、医者が「エピネフリン!速く!」とか言って、注射を打ったらその患者がプハーッと言って息を吹き返した、というような。
そんな風に、なにか一発で元に戻れないのか、という感じがずーっとあります。
こんなにコツコツコツコツと、小さな歩幅で、行ったり来たりを繰り返して時間をかけないと元に戻れないなんて、あまりにもフラストレーションが溜まりすぎます。
日本を離れて、実家やハワイなどに滞在していると、その思いが一層強くなります。
日本を離れると、まず気持ちがスーッと楽になります。誰からも束縛されない、誰も僕にストレスをかけない、と思うだけで、不思議と気分が良くなります。
体は相変わらずしんどくて、すぐ疲れるし、歩くのもしんどいのですが、気持ちが安らぐせいか、前向きな気持ちになれます。
そんな時に「なにか一発があれば…」と言う気持ちが強くなります。
ほんのちょっとしたことが狂ったために、体がおかしくなってしまったに違いない、だからそれを直す何かがわかれば、回復はもう目前という感じがするんです。
その何かが何なのか、どうしてもわからないのですが、とにかく何かが足りない。
そんな気持ちで、サプリメント店に行って、棚の端から端まで見て、自分に足りない何かを探しました。店員さんにも聞きまくりました。でも何も見つかりません。どうしてもわからないんです。誰か教えて!
その何かさえわかれば、あと一歩のところまで来ている、もうすぐ自分は元に戻れるはず、という考えが頭の中で一杯になって、妙にワクワクしてきたりしたのです。
でも結局、その何かがわかることはありませんでした。
僕や、副腎疲労の人達が待ちに待っているロケットの打ち上げはいつまでたっても起きません。
それはもうしびれを切らしまくっています。副腎疲労の回復は、何万分の一ミリくらいの歩幅でしか前に進んでいきません。
毎日普通に生活して、物事を普通に考えられる人には、僕が何を言っているのか伝わらないかもしれません。
副腎疲労と共に生きるというのは、自分が一体何に向かって進んでいるのかもわからなくなってしまうような、希望も期待も何もかも奪い去ってしまうのです。