ひとりぼっちの孤独な闘病

副腎疲労は孤独な病。                     

想像してみて下さい。これほど苦しんでいる状況を、誰にも話せないなんて。話せる人がいたとしても、まったく理解してくれない、共感してもらえないなんて。

副腎疲労コミュニティに新たに参加されたメンバーの方々が、「一人で戦ってきた…」「孤独な闘病…」「孤独な闘いだった…」と、『孤独』という言葉を立て続けに出されたのを見て、僕も改めて思いました。

なんて『孤独な病』なのかと。

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幸いなことに、僕にはドリーがずっとそばに居てくれて、なんでも話すことができます。彼女も副腎疲労を一生懸命学び、理解を深めてくれています。それでも、このブログに書いた内容を読んで、あらためて「エッ!そんなだったの??」と驚くことがありました。それほど、この病気はなかなかうまく説明できないし、なった人にしかわからないしんどさと苦しさがあるのです。

医師でさえも、

「ストレスでしょう。リラックスするようにして下さい」「はい?!?」

「これは精神的なものですね。心療内科に行ってください」「ちょっ!」

「ひとまず抗鬱剤を出しておきましょうか」 「・・・・」

こんなうんざりするやりとりを僕も経験しましたし、この記事を読んでいる皆さんの中にもいるでしょう。

誰も助けてくれる人はいないのか、という気持ちになったものです。

僕やあなたがどんな毎日を過ごしているか、誰もわからないし、気にもしていない、そんな気持ちになってしまいます。

自分の母親や妹でさえ、ほとんど他人事のような感じだったのです。信じられません!

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僕はもう5年半もの間、社会の一員ではありません。それが人間にとってどれだけキツイことか、想像できますか?

自分がこんな病でろくに仕事もできなくなったことを、誰にも知られたくありませんでした。今でもそうです。

仕事上の付き合いの人や友人から飲みに行こうと誘われても、いつもいつも「ちょっと別の用事が・・・」と言って断っていました。そしてだんだんと誘いは来なくなりました。

でも実はほっとしたのです。これでもう断らなくても済むと。実際のところ、誰にも会いたくなかったし、誰とも話したくありませんでした。こんなネガティブな気持ちになるのは、副腎疲労に苦しむ人に共通する感情です。この病気は人を内向きにさせてしまいます。完全に一人ぼっちな気持ちになるのです。

副腎疲労症候群は、色々な症状があちこちに起きるので、昨日はここが調子悪くなって、今日はまた違う所が調子悪くなって、ということの繰り返しで、色々な症状を同時に抱えてしまうため、肉体的な苦痛だけでなく精神的にもう絶望的になってしまうのです。

あまりにもあちこちおかしくなるので、一つ一つ説明するのが面倒になってしまいます。そんな状態で、どうやって「人生」を送れば良いんでしょうか。ただ、存在していればいいというのではなく、自分の「人生」を生きたいのです。

こんな状態が何年にも渡って続くと、人生は体調に侵略されてしまいます。物事の考え方、何を優先するか、誰が大事か、何が重要か、何を食べるか、どう食べるか、いつ食べるか、どれくらい食べるか、どこに行くか、いつ行くか、誰と行くか、どのくらい行くか、なぜ行くのか・・・。何もかもが、この病気に侵略されてしまい、「ちょっと出かけるか」と言って、財布を持ってひょいっと出かけるわけにはいかないのです。ちょっと近所に買い物に行くだけなのに、念入りに準備して、運動量(歩く距離)や飲み水、軽食、時間から、とにかく抜かりなく計画と準備をしてからでないと、出かける事すらできないのです。

目が覚めてなんとかベッドから起き上がって、そして夜またベッドにもぐりこむまで、まるで消防士が次から次へと現場に駆けつけて火を消して回っているような、そんな状態です。自分の体のあちこちについた火を消して、掛けずり回っているのです。だから、他のことをする時間がありません。少なくとも僕はそんな状態でした。自分のことだけでいっぱいいっぱいで、他の人の面倒をみるとか、気を配るとか、そんなことはできませんでした。

副腎疲労を抱えながら、毎日会社で仕事をしている人や、子育てをしている人が、どれほど大変か、想像もできません。

しかも、この病気は治療してくれる医師もなかなか見つけられません。だから自分で医師にならなければなりません。自分で自分の病状を診て、どんな検査を受ければ良いのか自分で調べ、何が良いのかリサーチし、サプリメントを仕入れ、試しては体調を観察する。しんどい体とぼんやりした頭で、いったいどれだけのことをやらなければならないのでしょうか。

時々、わーっと喚き散らしたくなるほど、腹が立ちます。それでも続けます。なぜなら、健康になりたいからです。意味のある人生を生きていきたいからです。それが人間の自然の姿です。

僕たちは必死で闘っています。でも多くの人が誰かの手助けもなく、サポートもなく闘っています。一人で闘っています。孤独な戦いです。

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こんな病気があることを知って下さい。家族に副腎疲労で苦しんでいる人がいたら、どんな病気なのか、なぜなってしまったのか、一緒に調べて下さい。一人ぼっちではいつまでも闘えません。

そして副腎疲労仲間の皆さん、一緒に元気になりましょう。