ひきこもった方がいいか、外に出たほうがいいか

副腎疲労を抱えて生きる毎日は、自宅軟禁状態だという話を以前しましたが、外に出たくて出かけてみると、結局後悔することが多く、やっぱり引きこもっていたほうがずっと楽で、軟禁状態になってしまうんです。

家にいる時にどんな疲労感に襲われても、外にいる時よりはずっとましです。家にいれば最悪の事態にはならないという安心感がありますし、まあ、じっとしていればいいわけですから。

家にいれば、何か食べ物を探し求めて歩き回らなくてもいいし、人混みもないし、誰とも話さなくてもいい。下手な日本語で苦労することもないし、電車にも乗らなくていい。耳をふさぎたくなるような騒音、例えば車の騒音や子供の叫ぶ声などを聴く必要もない。

ただただ自分のしんどさとなんとか付き合って、どうしようもない時にはベッドに横たわってしまえばいいんです。家のことはドリーが殆どやってくれるから、家の中の僕は何も心配せず、気楽にしていられます。ぶつくさ言わずに、自分だけがこの倦怠感を受け入れて、だまっておとなしくじーっとしていれば、ひとまずみんな平和にいられます。

一歩外に出ると、対処しなければならない事がいきなり増えます。最寄り駅までたったの7~8分なのに、それがものすごく疲れる道のりです。

大小あわせて横断歩道が5~6個ありますが、それを突破するのに疲れてしまう。左右を見て車やバイクが来ていないかを見て、ゆっくり歩いて(小走りせずに)渡りきれそうかどうかを判断するのが、精神的に疲れます。

crosswalk

大型トラックの走り出す音やブレーキの音が、ものすごく耳障りに不快に感じてしまいます。

お店で買い物をしていると、自分の前にいる人や、すぐそばに立ち止まったりする人が気になる。

shopworker

すごく簡単なやりとりだけど、外国語(僕にとっての)を使うというのは、気が張っていないとできないから、これまた疲れてしまう。副腎疲労の重症になると、たとえ自分の母国語でも単語を忘れてしまったり、言葉がスムーズに出て来なかったりします。また、物事を整理して考えたり、すばやく言葉のやりとりをするのがうまくできなくなってしまう。だから外国語だと、その何倍もしんどいんです。

ちょっとそこのコンビニまで、のつもりが、大冒険になってしまい疲れ果ててしまいます。

exploring

家に辿り着いた時には、足はガクガク、頭はリンゴのオーブン焼き状態。人が毎日、何も考えずに気楽にやっているありとあらゆる事が、僕には非常に高いハードルになってしまいました。そのハードルが延々とどこまでも続いているような状態です。

ちょっとコンビニに行ってくる、それだけのことをするエネルギーもパワーも気力もなくなっていました。情け容赦なく襲ってくる、終わりのない疲労と衰弱。いったいいつまでこんな体と付き合わなければならないのか、本当にもうやりきれない気分でした。

今、毎日、ブログを書いていてつくづく思います。最悪だった時の体調や、あの時思っていたことを、こうして冷静に書けるようになって、本当によかったなーって。

今も僕の行動範囲はまったく広がっていないし、相変わらず駅までの10分足らずの道を往復する以上のことはしていません。でも家に戻った時に、ドリーが毎日「きょうはどう?足は?視界は?」と聞いてくれて、「足は大丈夫。ガクガクしてない。」と答えられるようになったことが、本当に嬉しい事なのです。

「副腎疲労は治る、必ず元の体に戻る」とドクターAは、いつも言ってくれますが、あまりにもしんどい日々が1年、2年と続くと、もう良くならないんじゃないか、不治の病なんじゃないか、と思ってしまったりするのですが、そうではありません。副腎はまた元気にホルモンを出してくれるようになるんです。