涙のワイキキビーチ

2015年をパニック障害と共に終え、人生で最も過酷な1年を過ごした僕は、前々から計画していたハワイ旅行に出かけました。

ハワイは癒しの島。ハワイに行けばきっとリラックスできる、このストレス地獄から逃れられ、きっと体調も良くなるはずと思っていました。母親夫婦、それに妹夫婦もハワイに集合することになっていました。

何度も滞在して気に入っているコンドミニアムにチェックイン、僕もドリーも毎回ひどい時差ボケになってしまうため、到着後数日間は、ほとんどボーっとして過ごし、時差ボケが少し解消されて、ようやく現地の時間帯で寝起きできるようになった頃、気持ちは明らかに日本とは違って、リラックスしてストレスレベルも下がっていました。

しかし、体の症状は相変わらずでした。気持ちがゆったりしているだけに、かえって体の不調が余計気になっていました。

waikikibeach

今でも覚えているのは、コンドミニアムからほんの数分のところにある、ワイキキビーチからすぐのサンドイッチ店にランチを買いに行った時、体中に電気が走っているようなビリビリとしびれた感じになり、足が異常に疲れて重く、歩くのが嫌になるくらい倦怠感に襲われました。

帰り道で、足がもつれて、ガクガクになって、転んで倒れてしまいそうな感じでした。とにかく足がとても弱く感じ、歩いたりちょっと走ったりすることを不安に感じるほど、足がおぼつかなくなっていました。

sandwich

僕たちがハワイに到着してから1週間程して、母親夫婦が到着しました。しばらく母親に会っていなかったので、早速ホテルに会いに行くことにしました。

ドリーはこういう時は、気を利かせて「私は明日にする」と言って、一人で母親が泊まっているホテルに向かいました。

久しぶりに母の顔を見て、僕はほっとしました。とても元気そうで、リラックスしつつもハワイに来てウキウキしている母親を見て、僕は自分と比較していました。

僕は(ぱっと見はわからないだろうけど)本当にボロボロで、すぐ疲れてしまい、まともに歩くことも、呼吸することも普通にできなくなっていて、夜は眠れず、歯磨きすらしんどい…。でも誰もそれをわかってくれないし、僕自身がちゃんと説明もできない。不安でとてもみじめな状態でした。

crying

母と二人でバルコニーに座って話し始めた時、僕はもう感情がこみあげて来てしまい、こらえることができなくなって、涙がホロホロと落ちてきて、泣いてしまいました。

母親の前で泣くなんて、子供の時以来でした。「一体どうしたの?」と聞かれ、体がおかしい、何かの病気なのか、原因が何なのかもわからないけど、ずっと調子が悪いことを話しました。日本でものすごくストレスが多く、もういっぱいいっぱいになっていること、どんな症状なのかを少し話しました。

母は僕の話を聞いてくれました、が、ちゃんと聞いていない、のが僕にはわかりました。

「すぐ元気になるわよ。仕事ばかりしてないで楽しみなさい。」と言って、僕が話している内容を深刻に受け止めてはいなかったようです。

僕は、子供の頃から病気なんかしなかったから、“病んでいる息子”が母にはピンと来なかったのだろうし、パッと見は病人には見えないから、軽く流してしまったんだと思います。

母は僕に何もそれ以上聞かず、すぐハワイの話にすり替わってしまいました。

自分の母親なのに、僕の体がボロボロでこんなに不安な気持ちを打ち明けたのに、なんかサラッと流されてしまい、ちょっとショックでした。

母の旦那さんも全然空気を読めず、まったく違う話をしはじめ、僕は思わず目が宙をまってしまいました。

僕の体調については誰も触れず、まるで僕が泣きながら話したことがアホみたいに感じられて、僕はホテルを出て、ドリーの待つコンドミニアムに戻りました。

自分の実の母親が、僕の体調にほとんど興味を示さなかった事にがっかりしたし、僕がこんなに苦しんでいるのに、なぜそんなつれない反応なのか、と腹立たしさすら感じました。

fist

2015年~2016年の年末年始をハワイで過ごし、日本に帰る頃、僕は少しリラックスしていました。

そして、予定がすでに決まっている年度いっぱい、あと3カ月なんとか頑張ろう、頑張れそうだ、と思っていました。

3月下旬、引き受けていた仕事を無事終え、僕とドリーは再びハワイを訪れます。旅の目的は、この病気が何なのかを知るためです。