体調が回復してくると、今まで気づけなかったことに気づくようになります。
気づけなかった、気づけるゆとりがまったくなかった状況から、脱しつつあるということです。
副腎疲労症候群の重症レベルから抜け出せそうだという段階に来て、自分の周りで起きていること、人の行動や活動などを認識し始めました。
正直に言うと、これまでの数年間、僕が認識できたことは食べる事、寝る事、息をすることくらいでした。つまりただただ生きていくことだけに気持ちが行っていました。それ以外のことに気が回っていませんでした。
具体的にどんなことに気づき始めたのでしょうか?
それは、自分の活動のレベルが極めて低くなっていたということです。非常に低いレベルでこの数年間毎日を過ごしてきたこと、そしてそういう概念すらも、自分の思考の中から無くなっていたのです。
ただただ存在して、生きていただけでした。
サバイバルモードを脱し、生きる意味や生活の質を少しずつ考えられるようになってきたら、自分の活動レベルの低さ、乏しさに気づかされたという訳です。
母親や妹、母国の友達と電話やSkypeで話していると、彼らの人生がすごくリアルで、物事にあふれかえっていて、活動のスピードが速く、レベルも高いことを思い知らされます。
いや、待てよ。僕が元気だった頃は、そんな彼らの生活がものすごくのんきで、時間を持て余していて、無駄なことをしているように感じていたものです。
昔の僕は、一日をフルに活用し、忙しく動き回り、いくつものタスクを同時にやりこなし、彼らの何倍ものスピード、レベルで活動していたのです。今の自分と比較するとあまりにも違いすぎています。今は、僕が彼らを見上げて、「うわー、すごいな~」とつぶやいているのだから、なかなか興味深いです。
ここ数年の僕の人生は、3Sの毎日です。Slow pace(スローペース)、Simple(シンプル)、Stress free(ストレスフリー)です。
これはドリーのお蔭です。彼女が盾となって、「本当の」「認識されるべき」ストレスや負担、プレッシャー、脅威から守ってくれました。
なーんにも考えずに、ただただ体を癒すことだけに集中させてくれました。
ありがとう、ドリー。
なーんにも考えない僕の日常はこんなです。
朝起きて、朝食を食べ、食べ物が消化されるまで1時間ソファに座ってゆったりとニュースを読んだり、ネットを見る。次に、ヨガ、軽いウエイトトレーニング、ウオーキングなどのエクササイズ。シャワーを浴びて出てきた頃にドリーが起きて来て、体調などの雑談をしながら、野菜を切ってコールドプレスジュースの準備をします。
ジュースを飲んだ後、昼食の準備をし、昼食を食べてから、ブログを書いたり、簡単な仕事の連絡メールを送ったりデスクで仕事をします。 日によって洗濯などの軽い家事をやることもあります。
軽食を食べたら、午後のウオーキングをしたり、ついでに夕食の買い物をしたりと1時間ほど外出します。ドリーが夕食の準備をしている間は、またソファでテレビを見てまったり過ごし、ドリーの合図でテーブルにお皿を並べるなど、ちょっと家事をしているフリをします。夕食後の皿洗いだけは僕が進んでやっている毎日の日課です。その後はドリーと一緒にNetflixで海外ドラマや映画を見たら、もう9時。寝る時間になるのです。
これがここ数年の、僕の退屈で活動レベルの低い日々です。
時々、あまりにもシンプルで同じことの繰り返しの毎日に、思わず笑ってしまうこともあります。周りの人から完全に何歩か遅れているのです。
昔の活動レベルに戻せるか・・・と考えると、いやいや、それを考えるのは時期尚早です。まだ時間が必要です。
それまでは、退屈でシンプルな低レベルの活動を繰り返しながら、日々、週ごと、月ごとに強くなっていきます。